silette

Tue Nov 2
 僕は基本的に、「ぞうきんがけが修行の一環である」という考えには賛成できません。まあ、教えてもらう立場として、師匠に何かお返しをするという意味で「合理的」ではあるのかもしれませんけど。
 でも、この明石家さんまさんと師匠・笑福亭松之助さんのエピソードは、すごくいい話だな、と思うのです。

 僕はこの話の前半を読んでいて、「ああ、さんまさんは、『ぞうきんがけをナメるようなヤツはダメだ!」と怒られるか、「ぞうきんがけなんて、しなくていいよ」と雑用をやめさせてもらえるかのどちらかの結末を予想していたのです。
 しかしながら、松之助師匠は、さんまさんに「ぞうきんがけを楽しむ方法を考えろ」と言ったんですよね。
 「ぞうきんがけなんて単純かつ単調な作業、どうやっても楽しくならないだろ。詭弁だよそんなの」と僕は思います。
 ところが、さんまさんは、その言葉を聴いて、「一生懸命考えた」そうです。そして、「あれこれ考えるうちに、ぞうきんがけがなんとなく楽しく、苦痛ではなくなった」のだとか。

 他人がやっているのを見ていると、「誰がやっても変わらないような「単純作業」でも、上手くできる人と、できない人の違いが、少しずつ生まれてきます。
 「単純作業」のように見えても、実際には、「ちょっとした勘所」みたいなのがたくさんあって、それを見つけだしたり、自分で工夫したりできる人は、どんどん「進化」していくのです。
 その一方で、「つまんないなあ」「かったるいなあ」とダラダラやっていては、いつまで経っても同じ失敗を繰り返してしまう。

 「こんなものはつまらない、工夫しようがない」とみんなが考えるようなものだからこそ、「面白さ」や「工夫できるところ」が残っているのかもしれません。そして、そのためには、「つねに考えること」が必要なのです。
 ぞうきんがけそのものは楽しくならないかもしれないけれど、「ぞうきんがけを楽しくするための方法を考える」ことは、けっこう楽しいのかもしれません。

 明石家さんまさんは「フリートークの名人」として知られていますが、「他人の話から面白いところを引き出すトークの技術」っていうのは、まさに「ぞうきんがけの中に楽しみを見出すこと」に通じているような気がします。
活字中毒R。 (via toronei)

(via bo-rude)